花カレンダー [心の風景]
5月
いよいよバラの季節
到来です
バラの傍らには
アジサイがスタンバイ
柔らかな新緑の先に
早くも小さなつぼみが見えます
アジサイが終わる頃は真夏
セミの合唱がにぎやかです
8月に入ると
真っ赤なサルビアが咲き始めます
8月の終わりには
夏の終わりを告げるアンデスの乙女が咲き始め
アンデスの乙女が終わる頃には
淡くなった日差しに
サルビアの赤が
いよいよ鮮やか
やがて霜が降り
サルビアも枯れ
アジサイは葉を落とし
凍てつく大気の中に
ビオラやガーデンシクラメンが細々と咲き
2月
梅の花が
春が遠くないことを告げ
3月に入ると
早くも公園の早咲き桜が開花し始め
今年も一緒に赤い桜
見られてよかった
雨ふり [心の風景]
今日は雨
しとしとと降っています
3月は風の季節
突風が吹く日も多いです
人の心にも
突風は吹きます
そうした日には
親しい人に連絡を取ってはいけません
相手は吹き飛ばされてしまいます
親しいからこそ
解ってほしい
かまってほしい
受け入れてほしいと
甘えは出ますが
暴風雨に叩かれることを
好む人はいません
人は誰しも
ぽかぽかと
春の日差しのような
ぬくもりをくれる人が
好きなのです
落ち葉がいっぱい [心の風景]
落葉の季節
掃き集めても集めても
すぐにまた
落ち葉が降り積もり
落葉樹は葉を落としても
春にまた目覚めるけれど
失われた命は
永久に戻らない
過ぎ去りし日は戻らない
君がいてくれるなら
他に何を望むだろう
何の憂いがあるだろう
夏の訪れ [心の風景]
今年も夏がやってきました
夏はなぜか
物悲しい
遠い日の記憶にリンクするからなのか......
夏は激しくて
そして短い
つかの間
夏が燃えた後に
また
しーんとさえた冬が巡り来る
ユリカモメが集った頃から半年
今
夏が始まろうとしています
半分 [心の風景]
気が付けば
いつしか2015年も半分終わってしまいました
桜の咲くころの公園は人で溢れ
やがて花はツツジに変わり
アマリリスの季節は
一瞬にして過ぎ
バラが最も美しい季節も過ぎて
雨の音が近づき....
紫陽花の花のように
時は移ろい
でもまだ
旅は道半ば
暑い夏は
水を掛け合って
一緒に過ごそうね
愛されて咲く花 [心の風景]
花は愛されないと
きれいに咲かない
愛するってことは
「きれい!!大好き!!」と感動することではなくて
「私の庭を飾って!」と用いようとすることでもなくて
手をかけること
時間と動力を与えること
水は 肥料は不足していないかと
気にかけること
「私のために咲いてくれと」と期待することではなく
ましてや「思い通りに咲かない」と
怒りをぶちまけることでもない
愛されない花が枯れるのは必然
上座? [心の風景]
「ネコと坊主は勧められなくとも上座に座る」
にゃんて言われたのにゃ
まにゃは
夏涼しいところ
冬暖かいところで快適に過ごしたいだけにゃ
上座も下座も知らにゃいにゃ
場所に上下を設けるのはニンゲンにゃ
あつかましいヒトは居心地よりも
上座がいいのにゃ
座ってみて居心地が悪ければ
エアコンが効かにゃいってわめきたて
そこに居合わせヒトたちをしもべのようにこき使い
自分の利益のために奉仕させるのにゃ
感謝もお礼も
もちろんにゃいのにゃ
この花のように華のあるわたしが
いてあげるのだから感謝されてしかるべきと
考えているのにゃ
まにゃは
おしゃべりな花はきらいにゃ
花はただ
寡黙に咲いているだけできれいにゃ
あれー
あつかましいヒトって誰かに似ているような......
ゲシュタルトの祈り [心の風景]
私は私のしたいことをします。
あなたはあなたのしたいことをして下さい。
私は、あなたの期待に添うために生きているのではありません。
そして、あなたもまた、私の期待に添うために生きているのではありません。
あなたはあなた、私は私です。
でも、私たちの心が、たまたま触れ合うことがあったのなら、どんなに素敵なことでしょう。
でも、もしも心が通わなかったとしても、それはそれで仕方のないこと。
何故なら、私とあなたは、別の存在なのですから
人が自分の期待したように動いてくれない時、
私たちは怒ったり、ひがんだり、いじけたりします。
それは、「この人は、私の期待に答えるくれるはず」
という期待があるがゆえ。
相手が自分の支配に服さなかったことへの怒り。
逆に、相手の期待に答えようとして答えられなかった時は、
相手の愛情や好意を失いはしないかと恐れます。
自分の期待に応えることを相手に要求するのは、「支配」。
相手の期待に答えることを自分に要求するのは、「隷属」。
より多く相手を欲しているひとりが、相手を繋ぎとめようとして「隷属」に甘んじます。
相手に執着していないひとりが、相手を都合よく使おうとして「支配」します。
それは上下の関係で、同じ人間と言う横のつながりではありません。
愛されるだけの片方は自分を神とし、
愛されたい片方は彼が神であることを許すのです。
幸せな人は、誰をも神としないで、
同じ人間として、
自分自身を生きている人です。
隣の芝生 [心の風景]
隣の芝生はいいねぇ
青くて広くて
だって隣
遠いから
近づいたら雑草も見えるし
手入れも大変だって解る
誰が手入れするかで
いつも家族はケンカが絶えないらしい
でもそんなこと言わないし
外ではみんなにっこり
楽しい話しかしない
だから隣の芝生は青い